茶番

日々の雑感、記録、感想、むにゃむにゃ。

映画「SMOKE」 煙草の煙と悪意のない嘘は人生を彩る。

恵比寿ガーデンプレイスで映画「SMOKE」を鑑賞。
本当にこの映画が好きで、何回か観てるけどリマスター盤が出て劇場で初めて観られるということで歓喜して行った。

 

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ウィットに富んだ会話が魅力的なのはこの映画の特徴だ。セリフを覚えて言ってみたい気持ちになる。

 

例えばオーギーが毎日撮りためている店先の写真のアルバムを、ポールが流すようにページをめくっているとオーギーはそれを窘めるようにポールにゆっくり見ることを諭す場面。

 

 

 

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ポール「ゆっくり見ろ?」

オーギー「俺はそれをお勧めするね…明日、明日、明日。時は同じペースで流れる。」 

 

時を噛み締めるように煙草を吸いながら話す表情がたまらない。

退屈そうに見える毎日にも、小さな変化は存在している。緩やかに進んでいく毎日に合わせてゆっくりと見つめていないとわからない変化が。そういった些細なものに気付くことができるかどうかで幸せを実感できるかどうかに大きく関わってくるのではないだろうか。

 

 

煙草の煙も悪意のない嘘も同じようなもので、無味乾燥とした人生に色をつける。

全編通して様々な嘘が散りばめられているわけだが、嘘にも優しいものがあるし、花を添えるような嘘もある。嘘かどうかを明確にしなくてもよいこともある。とても情緒豊かな交わりだと思う。

ないようであるような煙の重たさのようなもの。

最後にオーギーが言っていた「生きてることの価値」というのはまさしくそんな煙の重さのように、感じられにくいが確かにそこに存在するもの、そういったもののことを言っていたように思う。

 

登場人物は皆、粗野で弱い人ばかりだ。しかし、彼らはもがきながらも懸命に生きている。その姿はとても魅力があり、愛おしくも感じさせてくれる。人間ってかくも愛おしい生き物なのか、と感じさせてくれるのだ。

 

そしてこの映画を観ると、煙草の煙を挟んで会話を楽しむ事ができる友人が自分にもいて幸せだなあ、と有り難く思ったりもする。別に珈琲でも酒でもカツ丼でもいんだけどね。

方丈記 高橋源一郎訳

三代随筆新訳!amazonで衝動買い!まだ方丈記しか読んでないけどむっちゃおもろい…

 

 


800年くらい前の話。天災、人災、不況などでパラダイムシフトしかけたけど、結局時が経つとまたもとの慌ただしさにかまけて戻っちゃうのが人の世で。
なんかもう、小屋でも作って静かに暮らしたいわ、と4畳半立方体モバイルハウスを作った人の随筆なんだけど、
〈エモーショナルに〉〈琵琶を演奏していると〉〈ゾーンに入る、って感覚になるんだ〉〈だって、そうしないと、おそろしい「虚無」に落ちていくような気がするんだ〉とかもう鴨さん友達かよ、と。そんな訳。
〈何かに魅せられること。それからは決して逃れられない。〉も超訳だと思うけど、良い。今も昔もおんなじ。
鎌倉時代版イントゥザワイルド的なイメージかなあ、読んでないけど。

煩わしいものから逃れて静寂を得ても、虚無に落ちていくだろうし、俗にまみれてもふと虚無に襲われる。ただ〈進む船がたてる白波〉のような人生とはなかなか割り切っていけないのよね。わかるよ、鴨さん。

エッセイ、随筆は作者に会って話をした気持ちになるから素敵だ。800年前の60代の俗世を離れた人となんて話す機会なかなかないからな。